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大阪地方裁判所 昭和23年(行)65号の4 判決 1966年6月06日

原告 井上一郎

被告 大阪府知事

主文

一、大阪市東住吉区農地委員会が、昭和二二年一二月三〇日に別紙物件表記載の土地について定めた買収計画を取り消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、申立て

(原告)

主文と同旨

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、請求の原因

一、大阪市東住吉区農地委員会は昭和二二年一二月三〇日在村地主である原告所有の別紙物件表記載の土地(以下本件土地といい、各土地については、従前の土地を同表記載の番号により、仮換地を同じく記号により適宜略称する。)について、自作農創設特別措置法(以下自創法という)三条第一項二号の規定にもとづく買収計画を定めた。そこで、原告はこれに対して異議の申立てをし、その却下決定に対してさらに訴願をした。しかし、大阪府農地委員会は昭和二三年二月二九日にこれを棄却する旨の裁決をし、本訴提起後にその裁決書を原告に送達した。

二、しかし、右買収計画には次のような違法がある。

1、1ないし13の土地について、

次に附加するもののほか、別紙「原告主張の違法原因」記載のとおりの違法がある。(なお、別紙「原告主張の違法原因」においては、1ないし13の土地を本件土地という。)

(保有面積の侵害)

原告には保有面積として法定の小作農地が残されていない。

2、14および15の土地について

(一) 小作農地ではない。

14および15の土地は、大阪市平野土地区画整理組合と同様、宅地化を目的とする喜連土地区画整理組合の地区内にある土地である。仮換地指定はまだ行われていなかつたが、地区内の土地はやはり基本的にには宅地としての性格を取得していたとみるべきである。また原告は、14および15の土地を何びとにも賃貸しておらず、使用貸借その他によつて耕作を許したこともない。

(二) 自創法五条五号により買収除外指定をすべき土地である。

喜連土地区画整理組合の施行地区は、大阪市平野土地区画整理組合地区の南側に隣接しており、14および15の土地を含め、右施行地区内の土地が自創法五条五号により買収除外指定をすべきものであつたことは、1ないし13の土地につき別紙「原告主張の違法原因」に述べたところと同様である。

(三) 保有面積の侵害

この点は、1ないし13の土地につきさきに主張したところと同一である。

三、そこで、右買収計画の取消しを求める。

第三、答弁

一、請求の原因の一の事実は認める。原告は昭和二三年一月八日に異議の申立てをした。異議却下の日は同月一七日、訴願提起の日は同年二月七日である。

二、本件買収計画は適法である。

1ないし13の土地が大阪市平野土地区画整理組合の地区内にあり、原告主張のとおり仮換地が指定されていたこと、および14と15の土地が喜連土地区画整理組合の地区内にあつたことは認める。

しかし、本件土地は、別紙「小作関係一覧表」の小作人氏名らん記載の者らが、同表記載のとおりいずれも賃借権にもとづいて、1ないし13の土地の仮換地あるいは14と15の土地を耕作していた小作農地である。

近い将来に宅地化することは、買収計画当時、想像もできない状況であつた。

第四、証拠<省略>

理由

一、請求の原因の一の事実は当事者間に争いがない。

二、1ないし13の土地の買収計画の適法性について

原告はまず右土地が農地でないと主張するので、この点について判断する。

(一)  右土地が大阪市平野土地区画整理組合の地区内にあり、原告主張のとおり仮換地が指定されていたことは当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲一号証、二号証の一、二八、五〇および五二、二一号証の二、二六および二七号証、乙八号証、原告主張のとおりの図面であることにつき争いのない検甲一号証、被告主張のとおりの写真であることにつき争いのない検乙一号証の一と二ならびに右土地の仮換地とその周辺の検証の結果に弁論の全趣旨を総合すると、別紙「本件土地と周囲の状況」記載のとおりの事実が認められる。(なお別紙「本件土地と周囲の状況」においては、1ないし13の土地を本件土地という。)

(二)  右認定の事実によると、1ないし13の土地は附近一帯の土地とともに、(イ)宅地としての利用を増進するため大阪市平野土地区画整理組合が、大阪府知事の設立認可をえて、国の公権力の作用として土地区画整理事業をすすめ、(ロ)法律上当然にその組合員とされた原告その他の地主において、五年間の小作料免除またはこれにかわる補償金を支払つて小作関係を消滅させ、その離作返還を受け、(ハ)組合員たる地主の経済的負担のもとに、昭和一九年頃までに計画どおり区画整理の工事を完了して、面積を坪単位で表示した仮換地の指定がなされ、(ニ)この結果宅地としての利用に適するように区画および道路の整備された土地となつたのである。これに前認定の諸事情を総合すると、1ないし13の土地の仮換地は、工事完了地域内にある附近の仮換地とともに、区画整理工事の完了により、従前の耕作の目的に供される土地すなわち農地としての形態と性格を失い、住宅その他の建物の敷地に供すべき土地に転化するに至つたものと認めるのが相当である。

(三)  被告は、1ないし13の土地の仮換地が買収計画当時耕作されていたと主張する。しかし、自創法により買収の対象となる農地は、耕作の目的に供される土地であることを要し、宅地化のための土地区画整理工事の完了した土地が買収計画当時現に耕作されているというだけで、直ちにこれを農地ということはできない(最高裁昭和三二年一〇月八日判決、民集一一巻一七二六頁参照)。

本件土地の仮換地が、区画整理工事完了後、被告主張の者らによつて再び耕作せられ、同人らと原告との間に被告主張のような耕作関係が成立するに至つていたとしても、その賃料は被告の主張によればイロハの土地の西村利一、竹本健次郎、ホの土地の友井丑松は、いずれもその従前の土地につき昭和六年まで反当り年米一石一斗ないし一石五斗の割合であつたのが、昭和七年から小作料免除を受けたのち、昭和一三年にわずか反当り年麦一斗およびいも一〇貫に改められ、ニの土地の竹本庄太郎は賃借した昭和一二年以来年二二円二七銭(反当り約一二円の割)と米二斗五升と定められていたというにすぎない。これに前認定の諸事実を総合すると、右耕作は、宅地としての利用に供されるまでの一時的な休閑地利用というべく、これをもつて1ないし13の土地の仮換地が宅地としての性格を失い、再び耕作の目的に供される土地に転化したものとするにはなお十分でない。他にこれをくつがえし、仮換地が買収計画当時すでに再び農地化していたものと認めるに足りる証拠はない。

それゆえ、本件買収計画当時に右土地が農地でなかつたとする原告の主張は理由があり、本件買収計画には、右土地の仮換地が農地でないのに農地であると誤認して右土地を買収することとした違法がある。それゆえ、右土地の本件買収計画は、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において違法として取消しを免れない。

三、14および15の土地の買収計画の適法性について

原告が在村地主であることは当事者間に争いがない。被告は、原告が保有面積侵害の主張をしているのに、保有面積として法定の小作農地を残したことをなんら主張立証しない。従つて、右土地の本件買収計画には保有面積侵害の違法があつたものとするほかはなく、右買収計画は、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において違法として取り消されるべきものである。

四、そこで、原告の請求をすべて正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 前田覚郎 平田浩 白井皓喜)

(別紙)

原告主張の違法原因

(一) 本件土地は農地でも小作地でもない。

本件土地は、自創法五条四号にも定められている、都市計画法一二条一項の規定による土地区画整理を施行する大阪市平野土地区画整理組合の地区内にある。右組合は、大阪市都市計画の区域内にある同市東住吉区平野地区を中心とする百十数万坪の土地を対象として、昭和四年九月二八日に設立せられ、翌五年一二月一一日大阪府知事の認可をえて、大阪市ならびに大阪府の指導監督のもとに事業をすすめてきた。まず、地区内の耕作関係解消のため小作人らとの間に数十回にわたる交渉を重ね、昭和八年九月頃からその妥結をみて順次土地の返還を受け、昭和一二年一一月末には全地域の小作地につき小作関係の解消をみ、その返還を受け終つていた。このため地主は昭和七年一二月一日から昭和一二年一一月末日までの五年分の小作料を免除することにし、工事施行の都合上同日より以前に明渡しを必要としたときは一年につき反当り二〇円の割合による補償金の支払いをしたのである。工事には昭和一〇年四月から順次着手し、昭和一六年末までに、地区内を東西に貫通する幅員三〇米の国道(尼崎・平野線)、東西あるいは南北に貫通する幅員二五米の都市計画道路四本を中心に、最少幅員六米のものに至るまで無数の道路が新設せられた。地区内の土地は、いずれもこれらの道路に面し、宅地としての利用に適するよう整然とした区画に設計施工せられた。

地区内を流れる今川、鳴戸川、平野川の三河川についても、しゆんせつ、幅員の拡張、堤とうの修築、その他の護岸工事を施し、二八箇所に木橋を新設した。五箇所合計三五、六五九坪の公園と七二三坪の国鉄関西本線平野駅北口広場等の公共施設も設けた。下水溝の設置、土管の埋設等の下水処理工事も行い、ガス管、水道管等も埋設せられた。昭和一二年から昭和一五年末頃までの間に換地予定地(仮換地)の指定も終り、本件買収当時には、地区周辺部の約六一、〇〇〇坪を残し、地区内の面積の九四・七四パーセント強を占める地域は、すでに区画整理のための工事を完了していた。組合が道路、公園等の公共施設に提供した面積は約三七一、〇〇〇坪にのぼり、このほか組合員は替費地六〇、八一三坪、賦課金二三六、三六〇円八八銭を負担しており、買収当時までに組合が投じた費用は二、二九二、三三一円九六銭に達している。

このようにして、以前は大阪市内でも有数の低湿地帯で降雨のたびに浸水し、一望の沼沢地となるのが常であつた右地区は、四通八達の道路網を中軸に、交通機関も完備し、宅地としての諸条件をそなえた理想的住宅地帯に一変するに至つたのである。戦争による工事の中断さえなければ、昭和二十二、三年頃までには全地域の事業を完了して本換地処分を終つていたであろうことは明らかであり、工場、学校、住宅等が続々と建設せられていたことは容易に推測できるところである。終戦前後の食糧難から、地区内の土地に、一時的にそ菜等を栽培し、ときには組合が建設した道路さえ耕作した者があらわれたが、これは暫定的な社会現象で、土地本来の用法にもとづいたものではない。しかもこれらの耕作者は、なんら法律上の権原をもたずに土地を使用していた不法占拠者であり、賃貸借はもちろん、使用貸借またはこれに類する耕作関係は存在していなかつた。

以上のとおり、本件土地は、所有者である原告の欲すると欲しないとにかかわらず、国の強権力をもつて組合地区に編入し、組合員の多大の犠牲において宅地に適合するよう事業を施行してきた土地であつて、交通、保健、衛生や経済上の観点からみて宅地とみるべき土地である。かりに耕作者がいたとしても、戦争のための一時的不法占拠によるものであるから、このために宅地が農地に転化するものではない。もとより小作地とはいえない。

(二) 自創法五条五号による買収除外指定をすべきである。本件土地とその周囲一帯の状況はさきに主張したとおりであり、大阪市の都心部にも近く、その周囲は住宅街に接続している。そして、この地域は、すでに住宅地としての性格と要件をそなえていたばかりでなく、大阪市東南部における唯一の将来性ある住宅予定地として、同市の市民住宅政策、工場政策を遂行し、交通、文化等の諸般の社会公共施設を設置していくために欠くことのできない最も重要な地帯であつた。現に東住吉区では、住宅、工場、学校等があいついで建設せられ、驚異的発展をとげている。このような土地は、農地よりも宅地として利用する方が国家社会にとつてはるかに価値がある。自作農を創設してみても、耕作を永く継続していくことは、その環境からみて不可能といえる。農地の売渡しを受けた者が、農耕を廃して、機会あるごとに住宅公団、工場等の敷地に転売し、不当な利益をえていることは顕著な事実であり、一般社会の批判の対象ともなつている。このことは、大阪市のような大都市内の土地について、大都市の特殊性を無視し、大所より検討することなく、無差別に買収計画を定めた当然の帰結である。以上の諸事情を総合して考察すると、いかに農民の側に立つてみても、本件土地に自作農を創設することは不合理かつ非常識である。従つて、本件土地は同法条による買収除外指定をすべき土地である。

(三) 買収目的地が特定されていない。

本件土地は、前記のとおり仮換地の指定がなされており、仮換地は従前の土地とくらべて、位置、面積に大変動を生じている。また、従前の土地の一部は道路敷、下水道敷等になり、あるいは第三者所有の土地の仮換地に指定されている。このような場合は、本件買収計画のように土地台帳上の地番、面積によつて買収目的地を表示しただけでは、従前の土地と仮換地のいずれを買収の対象とするのか明らかでない。

(四) 先行処分に抵触する。

平野土地区画整理組合は都市計画法一二条一項の規定にもとづいて設立せられた公法人であり、組合のする行為は行政行為にほかならない。およそ行政庁がある行政処分をしたのちに、これと相い反する行政処分をする場合には、法律に特別の規定がない限り、先の処分をまず取り消し、その後に新たな処分をするのでなければならない。先の処分を取り消さなかつたときは、のちの処分は法律上無効である。自創法には都市計画法に優先する旨の規定がなく、他の法令にもこれを認める規定はないから、土地区画整理を施行する土地に自創法による買収計画を定めるには、まず土地区画整理組合の設立認可処分を取り消さねばならない。ところが、平野土地区画整理組合の設立認可処分がなお取り消されていないことは顕著な事実である。

以上

本件土地と周囲の状況

(1) 大阪市平野土地区画整理組合は、本件土地を含め大阪市東住吉区平野地区を中心とする百十数万坪の土地を対象として、その宅地としての利用の増進をはかる目的で、昭和五年一二月一一日に大阪府知事の設立認可をえて成立した、都市計画法一二条一項の規定にもとづく土地区画整理組合である。

その当時、地区内の土地は、大部分が低湿地帯で、わずかの降雨にも浸水するところが多く、二毛作の可能な一部の例外を除いて、古くから一毛作の水田として利用されてきていた。

組合は、土地区画整理のための工事を実施するに先きだち、まず地区内の小作関係を解消することにし、地主側と小作人側との間でそのための話し合いをすすめて、昭和九年までに地区内の小作地のほとんどすべてについて離作契約が成立していた。その契約内容は、ほぼ、明渡期限を昭和一二年一一月三〇日とする、これに先きだつ五年分の小作料を免除し、工事の都合で右明渡期限前に明け渡すべき場合は、明渡期限に至るまでの期間、一年に達するまでごとに反当り二〇円の割合による補償金を支払う、という趣旨のものである。この契約にもとづいて、昭和九年一月六日頃から順次小作地の離作返還が行われ、返還された地域から次々と区画整理の工事がすすめられた。明渡期限の昭和一二年一一月三〇日には地区内の大部分の小作地の離作返還を受け終り、昭和一九年戦争のためにやむなく工事が中断されるに至るまでの間に、地区の北東、南東および南西の周辺部にあるごく一部、面積にして地区内の土地の約五パーセントにあたる部分を除いて、他のすべての土地について計画どおりの土地区画整理工事を完了し、坪単位で面積を表示した仮換地の指定をすませていた。

(2) この工事の結果、従来から地区内の北部を国鉄関西本線の南側に沿つて、北西から南東に通じていた幅員一八米余り(一〇間)の奈良街道(現在の国道二五号線)を幅員三〇米に拡張したほか、大阪都市計画街路の計画に従つて設計せられた東西あるいは南北に通ずる幅員三三米ないし二五米の道路五本が新設せられ、これらの道路を中心として幅員一五米ないし六米の道路が、東西あるいは南北に、数十米から百数十米の間隔をおいて整然と設けられた。これらの道路は、木製の境界杭で、これに面する仮換地との境界を明らかにしたうえ、境界線にそつて道路の両側に素掘りの溝を設け、路面も少くとも旧来のあぜや耕作のあとが残らない程度に地ならしをして、道路として車馬の通行ができる状態におかれた。もつとも、右五本の都市計画に従つた道路は、その両側の幅数米の部分が道路とされたのみで中央の部分は仮換地として指定せられたが、それは地主の負担を少しでも軽減するため、将来都市計画道路の施行者となる大阪市あるいは大阪府によつて仮換地指定部分が買収されることを期待したためである。地区の西端を流れる今川と鳴戸川、北部を流れる平野川(城東運河)の三河川には、これらの道路に適合するように二十数本の木橋がかけられた。

排水の面でも、側溝のほか、必要に応じて幅数尺の排水溝を設け、道路と交さする箇所には下水管を埋設して、前記三河川に注ぐように工事が行われたが、その際に農耕のための水利が考慮された形跡はない。

かつては農業に適するような区画が多く、しかもその区画がかなり不整であつた地区内の土地は、前記工事未了の約五パーセントの部分を除いて、その仮換地として、すべてこれらの道路に面し建物敷地として適切な面積と形をそなえ、排水の点でも著しく改善せられた土地が指定せられたのである。

地区の中央部にある約一万坪の白さぎ公園をはじめ、合計六箇所、約三五、〇〇〇坪の公園敷地が造成せられ、国鉄関西本線の平野駅前には数百坪の広場用地が確保せられた。前記道路やこれらの公園、広場等の公共用地あるいは工事費等にあてるための替費地として、地主は従来の所有面積の二五ないし三〇パーセントにあたる土地を提供した。地主はこのほかにも組合の諸経費にあてるため所有地一坪につき二〇銭ないし二五銭の賦課金を負担している。

(3) もつとも、右工事完了区域も、戦時下のため、直ちに建物が築造されたところはほとんどなく、雑草の繁茂するままに委ねられていた。前記各道路も、交通量が極めて少いため、中央部に幅一米前後の踏みあとを残すのみで、他は雑草の生えるままに放置されているところが多かつた。食糧の不足がつのるに従い、いわゆる休閑地利用の要請が高まつて、地区内の仮換地は、次第に附近の学校の農業実習用地として耕作せられ、あるいは近くに住む農家、非農家が地主の承諾を受け、または受けないで耕作をするようになつた。本件買収計画当時には、仮換地の大部分は耕作の対象とされ、これに接する道路の一部をとり込んで耕作しているところもかなりみられたが、組合が道路の耕作を承諾した事実はなかつた。

これらの耕作された部分も、ごく一部の例外を除いて、あぜやうねは仮換地の形状にそうように設置されていて、従来の土地の形跡は全くとどめられていない。水利の関係から、水田を畑にかえ、あるいはポンプで揚水しなければ耕作できなくなつた地域もかなりあつた。

組合は昭和一九年以後も工事を中止しただけで、存続し、現在も土地区画整理法による組合としてその事業を継続している。

(4) 本件買収計画当時、組合地区の西側には、前記今川をへだてて、大阪市の市街地に連らなる人家が建てつまつており、地区の東側は古くからあつたかなり広大な平野本郷の集団住宅地に接していた。地区内にも古くからの今林町、抗全町、今川町の三部落があつたほか、地区の中央部北寄りにある西平野土地区画整理組合地区には人家がほぼ建てつまつていた(もつともこれらの集団住宅地は平野土地区画整理組合の施行地区から除外されている)。

組合地区の北部には前記国鉄関西本線が通じ、地区の東はずれのところに平野駅があつた。地区内の南寄りには、南海電鉄平野線が東西に走り、地区の東はずれに平野駅(終点)、中央部東寄りに西平野駅、地区の西端から約一五〇米西に中野駅があつた。(これらの路線および駅の敷地も組合地区から除外されている。)また、地区の西端から三〇〇ないし五〇〇米西側には近鉄南大阪線が南北に通じており、北田辺、今川、針中野等の駅があつた。地区内の土地は、最も不便なところでも、これらの駅のいずれかから、一二〇〇米以内のところにある。

(なお、以上の駅の所在等は検乙一号証の一に公知の事実を総合して認定した。)

(5) 本件土地は、右工事完了地域内にあり、その仮換地と附近の状況は別紙図面記載のとおりである。

(別紙物件表・小作関係一覧表・図面省略) 以上

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